ADMIN TITLE LIST


Recent entries
2007/09/09 (Sun) 風の旅 萩相島灯台



灯台が好きで、灯台を訪ねて回っていると、
灯台が立っている場所は自然と分かってくるものだ。
私は陸の人間で海を知らないから、海から灯台を探したことはないが、
陸から眺めても、灯台がありそうな場所はおよその見当はつく。

それと、海岸線を走っていると、やたら灯台が目に入るようになる。
それらの灯台は防波堤の先端に立つ赤灯台、白灯台だ。
灯台、となれば駆け寄って行きたい私だが、申し訳ないがやり過ごす。
赤灯台や白灯台の港湾灯台にだって、
沿岸小型の灯台が顔負けするような立派な風格の灯台もあるが、
いかに灯台巡礼の旅とはいえ、いちいち表敬訪問しているわけにもいかない。

留萌灯台は、国道沿いの小高い斜面の上に立つ。
車で横付けできる訪問難易度ゼロの灯台で、
灯塔には白地に赤横帯が3本入って、17mのバランスが取れた灯台だ。
灯塔を撫でて敬礼をする、私流の一連の儀式を終えてから国道に戻ったら、
その一帯が小公園になっていた。 そこに1基の港湾燈台が立っている。
いつもの私ならやり過ごすところだが、そのときは何故か立ち寄った。
不思議な力が私を招き寄せたとしか思えない。

その灯台 (正確には 「灯柱」 という) は、灯台としての役割を終えており、
記念碑として小公園に据えられたものだった。
傍らに置かれた銅版の文字を読めば、
  「‥‥1931年、留萌港の東突堤の航路標識として登場した
   当時は緑色塗装で、市民からは 「青灯台」 の名で親しまれ
   60年にわたって船舶の安全航行を見守り続けた
   緑色塗装は、山口県仙崎港の防波堤灯柱とともに
   全国に2ヶ所という、非常に珍しいものだった‥‥」
とある。

北海道の留萌で、碑文の中に 「山口県仙崎港」 の文字を見たとき、
表現するのに難しいが、なんともいえない感慨が走り抜けた。
私の郷里・長門市の仙崎の名を目にするとは!
私に国道を横切らせて、ここまで招き寄せるパワーって何なんだ。
これには伏線がある。
前の日、北海道の西端を走っているときケータイがなった。
高校の同期生からで、7月に行う同期会の打ち合わせだった。
彼女は実家がある仙崎から電話をかけていたのだが、
私が北海道に居る、と聞いて驚いていた。
そのときのやりとりで 「仙崎と北海道でもケータイはつながるのネ」
などと他愛も無い会話をしたばかりだったのだ。

私は、いっぱしの灯台ファンを名乗っているが、
恥ずかしながら、仙崎港の緑色塗装の灯柱の存在を知らない。
「北の潮彩」 の編集が一段落したら、仙崎港に行ってみよう。
現存していたら、留萌での話をしてやろう。

なお、留萌港の青灯台は、1989年、国際的な浮標灯の基準が統一された際、
白色タイル張りに変更されている。

留萌港 ・ 青灯台 (旧東突堤灯柱)
留萌港青灯台



私が灯台めぐりをするに当たって、
灯台の規模の大小や、歴史のあるなし、立地している場所、周囲の景観
などを秤にかけて灯台に序列をつけたり、好き嫌いの区別をすまいと思っている。
灯台は、沿岸大型の灯台から防波堤の灯台に至るまで、
その任務は異なっても、燈台が持つ重要さに差は無い、と思っている。
「北の潮彩」 でも、その基本方針は変えていない。
訪問予定の50〜60基の灯台は等しく敬愛の気持ちで訪ねたいものだ。

とはいえ、特別な、ポイントとなる灯台は、ある。
まだ対面していない宗谷岬、納沙布岬、襟裳岬の灯台は、やはり、別格だ。
それらと肩を並べる灯台として、積丹半島の神威岬灯台がある。
これまでに訪れた、チキウ岬、恵山岬、白神岬、茂津多岬の灯台たちもいい灯台だが
神威岬灯台には、何か、えもいわれぬ神秘性が漂う。
積丹半島の骨格を成す余別岳、積丹岳の残雪を垣間見ながら車は神威岬に向かう。
そのうち、残雪によってくっきりと浮かび上がらせていた山容が見えなくなった。
神威岬は海霧の彼方だ。

やがて、観光地らしく、記念写真用の椅子が並べられた駐車場に着いた。
とてつもない強風が吹きつけ、半開きのドアーをバタンと閉める。
キルティングのジャンバーを羽織って、肩をすぼめて歩く。
さながら冬の光景の中を展望所に着いた。
黒澤映画の時代劇に出てくるような門がある。
そこには、ナ、ナ、なんと 「強風のため通行止」 の看板が!
灯台に向かう尾根伝いの歩道は、そこから更に1kmは続いているのに!
門扉は施錠され、門の周囲には有刺鉄線が。

私の灯台めぐりとは、灯台の敷地に立ち、灯塔を撫で、敬礼をして立ち去ることだが、
極論すると 「初点プレート」 を撮影してくること、なのだ。
私流では、初点プレートを撮影して、初めて灯台を訪問した事になる。
そんな私だから、灯台めぐりを始めるきっかけとなった室戸岬灯台、
次に訪れた周防灘の姫島灯台の初点プレートを撮影していないのが痛恨事なのだ。
この2基の灯台は、私の灯台訪問の数に数えたくないほどだ。

門扉の前で、しばらく考え込んだ。
進むか、引き返すか。 ハムレットの心境だ。
神威岬灯台には、生涯二度と来れないだろう。 遠くからの望見で済ませるのか?
それでいいのか?
少し離れた場所で、展望台の柵を補修している作業員が居た。
「あの通行止の札は誰が付けたの?」 「さあ‥‥」
「あそこから先に行ったらどうなるんだろう?」 「さあ‥‥」
もう、決まり、だ。
戻ってきて説教を喰らったら黙って聞こう。 始末書程度なら覚悟しよう。
問題は、尾根伝いに歩いているとき、マイクで呼び戻されたらどうしよう。
そのときは、強風で聞こえなかった、と言おう。

腹が決まれば、即、前進。
有刺鉄線を乗り越え、ひたすら歩いた。
風は強かったが、防護柵は完備しており、なんの危険も感じなかった。
白地に黒横帯を巻いた灯塔は精悍で、頼もしかった。
絵になるのは展望台から尾根のコブを一つ越えたあたりからだろうが、
私には初点プレートの写真が宝物だ。

行きがけは身を隠すように多少前かがみで進んだが、
宝物を手に入れた帰り道は、体を起こして堂々と歩いた。
あの日、あの時、あの場所で、私に他の選択肢は無かったとはいえ、
私がとった行動は褒められない。
「神威(カムイ)」 は 「神」 を表す言葉だ。
江戸時代の末期までは女人禁制の場所だった。
神聖な場所で禁を犯して、天罰が下るだろうか。

初点プレートを含めた写真はサイトで。
神威岬通行止



「北の潮彩」 の目的は北海道全周灯台めぐりだが、
この計画が急浮上したときから、もう一つの目的があった。
洞爺湖を望む丘に眠っているという、酒友 ・ K氏の墓参だ。
これから先、北海道を旅行する機会はあっても、その多くはパックツアーだろうから、
洞爺湖を訪れるのはいつの事だか分かりはしない。
私も、もう歳だし、墓参をするなら、
レンタカーで自在に動き回れる今回が <最初で最後?> かも知れない。

当初の計画では、千歳に着いたら石狩河口に向かい、時計回りに海岸線を回る。
旅程の3/4を消化した頃、千歳の近くに戻ってくる。
それから渡島半島をぐるりと回る。 そのとき洞爺に立ち寄ろう。
しかし、行き当たりばったりで予定が立たない私の旅だから、
訪問日時がはっきりしなければ、先方も困るだろう。
そこで、千歳に到着したらその日のうちに訪問する、
という事で最終的に確定したのが今回の全周コースだ。
私がK氏と共に過ごしたのは、伊豆に居た4年間の真ん中の2年だ。
コンピュータ関連の会社を辞め、人間臭さを求めて伊豆に来たK氏は
風変わりな私から見て、風変わりな、飄然とした男だった。
考え方と性格は私と真反対。 年齢だけが同じだった。
二度三度と酒を飲む機会があって、いつしか週に2・3回飲むようになった。
酒量は似ていたけど、何を飲んでも食べても割り勘だった。 見事なほどの割り勘だった。
私よりも遅れて伊豆に来たK氏は、私よりも先に伊豆を去った。
それから10年近く経って、K氏から連絡があった。
「お前が居る下関で結婚式を挙げる。よろしく」
どんな経緯でそうなったのか、いまだに分からない。
下関での私が、最初の4年間、結婚式場の支配人をしていたのを覚えていたのか‥‥。
赤間神宮での結婚式には、私たち親子3人が立ち会った。

洞爺湖へは伊達から入った。
昭和新山を左に眺め、壮瞥から洞爺湖を半周した。
GWを過ぎて夏の観光シーズンまでの端境期だったからなのか、
湖畔の周遊道路は閑散としていて、山の湖の情緒が満喫できた。
景色の変化といえば、角度を変えることによる中の島の山容か。

浮見堂を見下ろす高台にK氏夫人の家があった。
広大な敷地に立派な家だ。 北海道でいう 「広大」 は内地とはスケールが違う。
私は葡萄舎が自慢だが、K氏宅の内装は葡萄舎をはるかに凌ぐ。
お宅で遺影を拝み、更に高台に建つお寺で墓参を済ませた。
年齢を問わず酒友に恵まれた私だが、K氏との2年間は別格だ。
K氏にとって、私はどんな存在だったのだろうか。
今年、七回忌だという。

「北の潮彩」 の大きい目的の一つを果たした。

写真は洞爺湖の朝 K氏がいつも眺めている景色だ。

洞爺湖




| HOME |


Design by mi104c.
Copyright © 2007 葡萄舎だより 「風の旅日記」, All rights reserved.
ホームページ アフィリエイト レンタルサーバー FC2ブログ