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2007/09/09 (Sun) 風の旅 萩相島灯台



知床横断道路の閉鎖で大迂回を余儀なくされ、
野付埼灯台を辞したら、それから先は
ノッカマップ埼灯台を訪ね、納沙布岬灯台で夜と朝を迎えようと旅程を修正した。
が、野付埼灯台の訪問を14時30分に終え、欲が出た。
納沙布岬に行く前に、落石岬灯台と花咲灯台を回ってしまえ!

実は、北海道の灯台めぐりを思い立つ以前の話だから、
北海道の灯台は写真でしか知らないのだが、
落石岬灯台と花咲灯台が 「日本の灯台50選」 に選ばれている事が
どうも納得がいかなかったのだ。
一回きりの人気投票での50選で、たいした権威を持つものではないし、
それに目くじらを立てることもないのだが、
日本中から50基の灯台を選ぶなら、選ばれて然るべき灯台が他にもあると思えたのだ。

根底にそんな思いがあるからなのか、落石岬灯台からは拒絶反応を示されてしまった。
灯台まで2kmの距離を残して車止めがある。
往復1時間かぁ。 まぁ、仕方ない。 歩け。
少し進むと、道は二つに分かれている。 道しるべらしきものはあるが汚れて読みにくい。
見渡すと、片方の道には電柱が連なっている。 2km先まで。
今でこそ辺地の灯台では太陽光発電が普及しているが、
「灯台へ行くには電線をたどれ」 これは灯台めぐりの大原則だ。
私は深く考えもせず、電線をたどった。

2km先には馬鹿でかい建物が建っていた。
見れば、国立環境研究所地球環境研究センターの
地球環境モニタリングステーション落石岬という長ったらしい名前の建物だ。
そこに灯台は、ない。 道を間違えた!
「道を間違えたと気付いたら、間違えた地点まで戻れ」
これは、若い頃登山を楽しんできた私が真っ先に教えられた登山の鉄則だ。
引き返そう。 そう思ったとき、悪魔がささやいた。 「右を見ろ」
2km先に、灯塔の上部がぽつんと見える。 灯台だ!

とっさに計算した。
さっきの分岐点まで2kmあるから、分岐点と灯台と今居る場所は正三角形だ。
2辺を通るより1辺を通ろう。
間違えた人が何人かいるのだろう。 踏み跡がついている。
が、海岸にせり出した台地にはいくつかの裂け目があり直進できない。
やむを得ず海岸線を離れると、そこは湿地帯だ。 これまた直進できない。
かといって、先ほどの間違えた道へも湿地帯が行く手を阻む。
これは、樹林のない青木が原樹海だ!
灯塔は見え隠れする。 けど、その方向には進めない。
ほとほと困り果てたとき、一つの湿地帯に出くわした。 水芭蕉の群落だ!
海岸を見ると、かすかに灯塔が顔をのぞかせている。 シャッターチャンスだ。
私という人間も、転んでも只では起きない人間になったものだ、と妙なところで感心する。

1時間かけて間違った道に出た。 分岐点にほど近かった。
徒労だ。 収穫は、水芭蕉を手前において灯台を写したことだけ。
ヨーロッパの葡萄畑を歩いた靴、パタゴニアにお供した靴、
シルクロードを大走破した靴、旅の思い出が染み込んだ靴をパァーにしてしまった。

1時間の予定が、2時間をオーバーする落石岬灯台訪問となった。

落石岬灯台と湿原の水芭蕉
tochiisimisakitoudai



本州では、高い山には残雪があり、飛行機から見下ろした。
千歳空港に着いたら、支笏湖の方角だから恵庭山だろうか、残雪を見た。
残雪は南に下って駒ケ岳でも見たし、積丹半島に行くまでにも、到るところで見た。
標高のある山々は、どれも残雪を頂いていた、と言っていい。
が、積丹半島を過ぎてから、その残雪をほとんど見ていない。
(利尻富士を除いて)
理由は簡単だ。 悪天候で、遠景は霧か雲のかなただったのだ。

興部(おこっぺ) の道の駅で車中泊しているあいだも、
かなり強い雨が車の屋根を叩いた。
飛ばし屋の疲労は雨音をものともせずに熟睡に導いたが‥‥。
紋別灯台は曇り。
サロマ湖は小雨。 サロマ湖の開口部には燈台が1基あるのだが、
砂州のの先端は三里浜オートキャンプ場になっていて進入禁止。
はるかかなたに小さくぽつんと見える灯台の訪問は諦めた。
断念した理由は、知床横断道路の交通規制が解除される時間帯が頭にあったから。
「北の潮彩」 の計画段階で一番のネックは、いかにスムーズに知床半島を横断するか。

当初、知床半島を横断するのにはタカをくくっていた。
例年GWまでには除雪が完了して開通している。
今年もそうだろうと信じて疑わなかった、というよりも問題にしていなかった。
ところが、5月14日に下関を発つ私が
知床横断道路の開通を全国ニュースで知ったのは5月10日だった。
今年は雪庇が生じ、雪崩の危険があるため、除雪は機械を使わず人力で行ったという。
開通しても、通行には10時〜15時30分の規制がかけられている。
オット、オット、オットという感じだ。

遅くても12時頃までには宇登呂灯台の訪問を終えて、横断道路に入りたい。
そのためにサロマ湖口灯台訪問を断念したのだ。

斜里を過ぎて知床国道(334号) に入った。
そこで見た表示は、「雪崩の危険があり、通行止め」。
グワァ〜ン。
昨夜の雨が表層雪崩の危険増幅したのだろうが、そりゃないよ。
こうなれば、斜里に戻って根北峠を越え標津の手前から羅臼に入るしかない。
四角形の3辺をたどるのだから2時間の迂回になる。
神威岬で禁を破った報いか! 礼文でぶっ飛ばした罰か!
まぁ、5月下旬に、宇登呂から羅臼に行くのに根北峠を越えるのも話の種か。

ところで、宇登呂での話だが、
宇登呂を訪れる人は、オシンコシンの滝、乙女の涙、知床五湖、遊覧船が目的で、
宇登呂灯台は展望台から眺める風景の一ポイントでしかないようだ。
私は宇登呂灯台が全てで、他は刺身のツマでしかない。
その灯台が立ち入り禁止になっている。
神威岬で禁を犯した私だから、
立ち入り禁止の立て札を無視し、道に置かれた木材をまたぐのはいとも簡単だが
知床自然センターのボランティアのお嬢さんから釘を刺されると、とたんに素直になる。
センターの係員に聞くと、海上保安庁の許可があれば通行できる、と言う。

なら、話は簡単だ。 一番近くの網走海上保安署に電話した。
私は灯台ファンだ。 山口から来た。 北海道の灯台を回っている。
目的は初点プレートの撮影だ。
私の隣家は関門海峡海上交通センターの初代所長だ。
若松海保の皆さんとは白州灯台の清掃に同行している etc. etc.
ありとあらゆることを挙げ、灯台への想いを熱っぽく語った。
電話で応対した署員は
「それでは、あなたは灯台めぐりでは有名な方なのですね」
これには笑った。
灯台めぐりでは、まだ駆け出しだ。
でも、今の雰囲気を自ら壊す事もないから 「それほどでもありませんが」

結論は、
私の意向は紋別海上保安部の担当者に伝える。
その担当者から私のケータイ宛に返事をさせる。
程なくして、紋別海保から 「承知」 の電話が入った。
神威岬の有刺鉄線を越えたときとは違って、堂々と胸を張って横たわる木材をまたいだ。

宇登呂灯台 一応、展望台近くからも撮ってみた
宇登呂灯台



北九州市門司区の、歴史を持つ保存灯台 ・ 部埼燈台が一般公開されたとき、
灯台めぐりの先達 ・ 石松氏に出会った。
氏は全国の灯台を巡り、「日本灯台紀行」 なる本にまとめておられた。
1冊を頂いたのだが、北海道の灯台もくまなく回っておられる。

本音で言うと、
私の 「北の潮彩」 は、氏の北海道の灯台めぐりを強く意識したものだった。
氏が北海道に残した足跡と、私の計画とはほぼ完全に重なる。
否、氏が訪れた奥尻島と利尻島は私の計画に入っていない。
挑戦するつもりはない、と言えばウソになる。
絶えず氏の影がちらついていたのだが、氏への感謝の方がはるかに大きい。
「北の潮彩」 の灯台めぐりを続けるに当たって、
灯台に至る道筋、目印は氏の記述がとても参考になった。

北見神威岬灯台は36番目の訪問灯台だ。
ここに来るまでに、予想をはるかに超える進捗で時間的な余裕が生じ、
利尻島と礼文島に寄り道した。
これまた本音で言うと、
利尻島の灯台を回る事で、氏に一歩近づいた、
礼文島の灯台を回る事で、氏の奥尻島訪問に代わる私の灯台めぐりが出来た、
と対抗意識をむき出しにしたのは否めない。 私もまだ未熟だなぁ。

ところで北見神威岬灯台。
宗谷岬から単調な海岸線が続くが、この岬だけが突出している。
(だから灯台が建てられているのだが)
かつては珠文岳からせり出した岩山が海に落ち込み、国道は海岸線を遠回りしていた。
その先端に灯台はあるのだが、
北オホーツクトンネルが開通して、旧国道は廃道になっていたらしい。
氏の記述では 「往復1時間ほどのウオーキングを強いられる」 とある。

灯台めぐりをしていて、1時間のウォーキングは楽じゃないが、当たり前だ。
が、礼文島で飛ばしに飛ばして早い便の船に間に合った私が
宗谷岬から南下して来て、日暮れ時に往復1時間のウォーキングは、辛い!
通行止めなら仕方がないから、行くだけ行こう、と車を走らせた。
北オホーツクトンネルの手前で旧国道は左に延びている。
通行止めの看板を探したが、‥‥無い! 天佑、我に味方す!

氏が訪れてから4年。
年月は、灯台を挟む旧国道沿いを公園に変えていたのだ。
石松氏の紀行文と内容が異なったのは、あとにも先にもここ1箇所だけだった。
それも、嬉しい方向に異なってくれた。

夕闇が迫っていた。
旧国道が通行止めなら、その手前で車中泊するつもりだった。
走行できることで、数分で北見神威岬灯台を訪問出来た。
今夜は行けるところまで行って、多少は人の生活の臭いがする所で車を停めよう。

石松氏の 「日本灯台紀行」 には本当に助けられた。
帰ったら、尊敬と、賞賛と、感謝の手紙を書こう。

北見神威岬灯台 遅く着いたから灯火を見ることができた
北見神威岬灯台



10時45分から13時05分まで、その間2時間20分。
10時45分から16時20分まで、その間5時間35分。
利尻島の鴛泊港を出た船が礼文島の香深港に着く時間が10時45分だ。
その日のうちに稚内港に帰り着こうとすれば
礼文島の香深港を第3便が出航するのが13時05分だ。
最終便なら香深港発が16時20分だ。
その差は3時間15分。
3時間余がどれほどの意味を持つかといえば、たいした事じゃない。
稚内についてからの行動範囲が広がるか否か、
その日の内に、当面の目標である知床半島にどれほどに近づけるかを左右する、
ただそれだけの事なのだ。

時間的に切迫しているわけではない。
そんなに急いでどこへ行く? そんなに急いで何をする?
急がなくってもいい。 分かっちゃいる。
しかし、一人旅を続けてきて、一刻も早く次の目的地へ、という
さして意味もない強迫観念に取り付かれてしまっている私だ。
歪んだ脳の命令系統は、
2時間20分で、礼文島内の3基の灯台を訪問せよ、と指示を出している。

利尻島と同様に、当初の計画に礼文島に渡る予定はなかった。
事前の予備知識はゼロ。 灯台表から訪問灯台3基を選んだ。
1基は島の最北端だ。
1基は島の最南端だ。
最南端近いもう1基は、200mの高度差を稼ぐのに、1時間のウォーキングを強いられる。

最北端の灯台は、最悪の場合割愛しよう。 南端の2基を目指せ。
そのうちで、礼文島の灯台で1基だけを選ぶなら元地灯台だ。
往復1時間のウォーキングは苦にならないが、
気温は4度前後。 風は10m前後。 霧雨は頬を打ち、吹きつける風に耳は痛い。
慰めとなるはずの、高山植物の開花はまだ先だ。
霧に包まれて視界は100m程度。 当然、周りには誰もいない。
道は平坦だが、歩き続けて30分。 霧の中からヌゥ〜ッと灯台が姿を現した。
黒地に白横帯の灯塔は不気味だ。
見慣れれば精悍で、頼もしい灯台に変わったのは、根が灯台ファンだからだろう。
海岸線の集落 ・ 知床まで戻って50分消費。 残り1時間30分。

元地灯台の山を降りるとき、奮部灯台は目に入る。 しかし登り口が分かり難い。
がむしゃらに草むらを掻き分け、往復に30分。 残り50分。
この時点で観念した。 もう駄目だ。 最終便に乗ろう。
でも、行けるだけ行ってみよう。

飛ばした。 (私が 「飛ばした」 と書くときは相当に無謀な速度だ)
崖の上にある金田ノ岬灯台は遠くから目に入った。
が、登り口が見つからない。 運良く青年がいたので聞いた。
「少しバックしたら獣道がありますから」
「獣道」 はあった。 北海道では人の踏み跡も獣道というのだろうか。
そんな事はどうでもいい。
灯塔を撫でて、敬礼をする、私流の儀式は省けないから、
その分だけ、写真の枚数が減った。
そそくさと獣道を駆け下りた。 残り時間は25分を切っている。

北海道は車が少ない。 利尻島はもっと少ない。 礼文島は更に少ない。
それをいいことに、飛ばしに飛ばした。
車を飛ばしている私を実況レポーターが見たら、
「鬼のような、夜叉のような顔つきで、無謀な男がいま‥‥」 などと表現しただろうか。
フェリーターミナル到着が出航5分前。
船便の便名も書いていない不備の書類を提出。 間に合った。

無理な運転をして得た3時間という時間は、
宗谷岬灯台、浜鬼志別灯台、北見神威灯台、音稲府灯台を訪問させ、
興部(おこっぺ)の道の駅で車中泊するまでに旅程を稼いでくれたが、
こんな旅は、褒められた物じゃない。

ゆっくりと対話したかった 金田ノ岬灯台
金田ノ岬灯台




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